寺院名 筧口山 善照寺
本山寺 真宗高田派専修寺
創建 長禄年間(1457年頃)
所在地 三重県鈴鹿市庄野町28番2号
敷地面積 792坪(2613.6㎡)
建築床面積 本堂101.5坪(334.95㎡) 庫裏・鐘楼堂・山門あり
建築様式 本堂9間4面入母屋造り 木造瓦葺

歴代住職

第一世 善正法師(ぜんしょうほうし)
  嘉永7年(1854年)6月15日安政の大地震の始まりと言われる、伊賀上野地震によって、庫裏が倒壊し、青年衆徒2名が圧死。記録を紛失し、元禄以前の過去帳が不明となり、第二世~第九世までの住職名が判明しない。 
第十世 恵亮
第十一世 慧澄
第十二世 智丈
第十三世 秀泰
第十四世 蓮暁(れんぎょう)
第十五世 蓮暐(れんしょう)
第十六世 蓮橋(れんきょう)
第十七世 滋元(じげん)
第十八世 智徳(ちとく)
第十九世 英揮(えいき)

長禄年間(1457~1460)に平田地内筧口と称する所に、善正法師(大永3年入滅)が善照寺を開基した。初めは天台宗であったが、高田派第十世 真慧上人の化導によって真宗高田派に改宗し、今日に至っている。

 

庄野町は東海道五十三次の一駅として発展した。宿駅の繁昌と関連して、九間四間、入母屋造りの本堂は寛政年間(1795年頃)に建立された。

 

第十二世 智丈 第十三世 秀泰は学僧として有名であり、鈴鹿市の無形文化財である大念仏踊の歌詞『一ツとかしょ ひとり生まれて ひとりゆく さても はかなき この世かな』以下略。は智丈、又は秀泰の作と伝えられていて、昭和9年 第十六世 蓮橋が訂正して現在の歌詞となっている。

沿革

長禄年間(1457~1460頃) 善正法師により善照寺を開基
寛永4年(1792) 梵鐘鋳造
寛永年間(1795頃) 現在の九間四間、入母屋造り本堂建立
弘化5年(1848) 本堂瓦を造る(本堂南の角、鬼瓦に弘化5年申5月と彫刻あり)
嘉永4年(1851) 本堂再建(昭和23年4月 本堂の東南しぶき修繕の際に発見。東の柱に『嘉永亥年 アサキ部中分村 大工七蔵建之』と書かれている)
嘉永7年(1854) 伊賀・上野地震により庫裏が倒壊。元禄以前の過去帳等を紛失する
昭和18年(1943) 国の命により梵鐘供出
昭和35年(1960) 鐘楼堂 建立
昭和36年(1961) 梵鐘再鋳
昭和46年(1971) 山門再建
昭和49年(1974) 集中豪雨により、庄野6番町以下の町内が浸水。当寺も本堂・庫裏が床下、その他の建物が床上浸水の被害に会う
昭和57~58年(1982~83) 国道1号線の拡張により、鈴鹿河川敷の共同墓地を移転
昭和58年(1983) 本堂屋根 瓦ふき替え及び修理
平成9年(1997) 本堂横 書院 建立
平成16年(2004) 蓮橋上人50回忌の際を記念して、本堂風雨除けの板塀を作り替える
平成17年(2005)  庫裏 建て替え
本堂雨風除け板塀 作り替え
平成20年(2008) 第十八世 智徳住職 就任
平成27年(2015) 第十九世 英揮住職 就任
平成30年(2018) 鐘楼屋根 瓦ふき替え及び修繕
平成31年(2019) 本堂内部に納骨堂を建立
令和2年(2020)  本堂正面 スロープ設置